青いネグリジェ

 


何月頃だっただろうか、
底冷えのする日だったのは間違いない。

私は都内のある病院で当直をしていた。
その病院の当直はいつも忙しく
重症患者が運ばれてくるので有名だった。

その日もいつものごとく忙しく
やっと患者が切れ気がつくと
時刻は夜中の3時を回っていた。

『今のうちに寝ておくか』
そう思い席を立とうとした矢先に
消防庁からのホットラインが鳴った。

『17歳の女性、レベル300(完全に意識がなく痛み刺激にも反応しない状態)
風呂の中に倒れているのを家人が発見したそうです。
外傷ははっきりしたものは無さそうです』

『今日は大当たりだな。ついてない』
そう思いながら
私は外来の看護婦達と救命処置の準備に入った。

やがて救急入り口の前に救急車の赤い回転燈の光が見えると
ドアが開き1台のストレッチャーが
救急隊員に押されながら運ばれてきた。
ストレッチャーの上に横たわっていたのは
青いネグリジェを着た小柄な少女だった。

『家族の方はこちらでお待ちください』
そういっている看護婦の声を背中に
彼女は救急処置室に運び込まれた。


『喉頭鏡。チューブは6.0。 ライン、とりあえず末梢探して・・・・』
私はそう指示を出しながら
挿管(呼吸用の管を気管に入れること)するために
彼女の口を開けようとした。
そのとき、ネグリジェの前を開き
彼女に心電図を取り付けていた看護婦が低く言った。
『・・・・・先生、フラット(心電図が平坦=心停止)です』
『・・・DOA(到着時死亡)か・・・・
心マ(心臓マッサージの略)やって。
カウンターショックも準備して 』

救急隊の連絡からまだ時間はたっておらず
挿管して人工呼吸すれば蘇生の可能性があると思った私は
彼女の口を再度開けようとした。
しかし、彼女は口を固く閉じたままで決して開けようとはしなかった。
『筋弛緩(筋肉がゆるむこと)が来ていてもいいはずなのに、なぜ・・・』
そう思った私は彼女の異常に気づいた。
彼女は口ばかりか全身がひどく強ばっていたのだった。

『・・・死後硬直・・・・』
まだ廊下に待機していた救急隊員にそう告げると
彼らは互いに顔を見合わせた。
『・・そんな、だって搬送時まだ体は暖かかったんですよ』
『呼吸は、血圧は、確認したのか?
風呂の中に浸かっていたんだったら
体が暖かいのは当たり前だろうが』
私はこれからやらねばならない仕事に対する苛立ちから
若い救急隊員をついなじってしまった。


『・・・お子さんは・・・・お嬢さん一人ですか?』
私はその夫婦にそう切り出した。
他に子供がいてもその悲しみには変わりない、
それは解っていたが私はそういわざるを得なかった。
『はい、あの娘一人です』
そろそろ初老にさしかかろうかという父親が答えた。

『いい娘でしてね、あの娘は。 受験生で、いつも夜遅くまで勉強をして・・・・
彼らは一粒の涙を流すでなく
懐かしい昔話でもするように淡々と語り始めた。

彼らの話をいったいどのくらい続いたのだろうか
私はすべてが理解できた。

彼女がなぜすでに死後硬直を起こしていたのか。
彼女がなぜ入浴中に倒れたにもかかわらず下着をつけていたのか。
彼女がなぜ青いネグリジェを着ていたのか。


おそらくは彼らが彼女を発見したのはもっと早い時間だった。
彼らが彼女を発見したときには
すでに完全に呼吸も止まり
彼らの目からしても
すでに望みがないのは明らかであったのだろう。

そのまま救急車を呼べば
娘の裸を人目にさらしてしまうことになる。
しかし、もし彼女が生きていたら
その肌を人目にさらすことをどれだけ恥ずかしく思うことか。
そう考えた彼らは
亡くなった一人娘の肌を人の目にさらすまいと
自身の手で最後の身支度を、
最後のおしゃれを彼女にさせた・・・・
たぶん彼女の1番のお気に入りだった
青いネグリジェを着せて。

それがどんなにつらい行為だったのか想像もつかない。
しかし、

彼らはすべてをやり遂げた上で娘とともに病院へ来てた。
そして、
誰とも解らない医者相手に
彼女の思い出を語りながら
娘に別れを告げていたのだ。


それまでの慌ただしさが嘘のようだった。
救急処置室には彼らの声だけが流れていた。

やがてその声も途絶え
嗚咽に変わった。

『・・・・お気の毒でした・・・・・・』
『・・・・・・はい・・・・・・』
私はひとこと言い、
彼らもひとこと返した。


静かな夜だった。