年の瀬の人

 


毎年、 陽が暮れるのが早くなってくると
思い出す人がいる。


師走も半ばを越えた頃だっただろう、
私は都内の某救命センターからの電話を受けた。

市中の一般病院にいるとこうした救命センターからの電話は
決して珍しいことではない。
センターでは救急患者が優先されるため
救命処置が終わり状態が安定すると通常は関連各科の一般病棟に転棟となる。
しかしこうした一般病棟も空きがないことが多く
なかなかセンターから引き取れないことが多い。
そのまま退院までセンターにおいておくわけにもいかないので
引き取ってくれそうな病院に手当たり次第に電話しまくるのだ。

はたしてこのときも入院受け入れ要請の電話だった。

「こちら**救命センター形成外科の者ですけども
もしお部屋が空いていれば受けていただきたい患者さんがいるのですが」

センターの形成外科・・・・
全身熱傷の術後か 、顔面多発骨折の術後か
どちらにしても気切(気管切開)が入っている可能性が高い・・・
これで正月休みはなくなったな・・・・
そう思いながら受け入れ可能なベットを頭の中で考えていると
相手はこう続けてきた。

「55歳の男性で、一昨日大腿内側刺傷で搬送の患者です。
創処置は終わりましたが
まだペンローズ(血液や浸出液が溜まらないようにする管)が入っています。
大腿動脈はインタクトでしたのでもう数日で歩行も可能になると思います 」
「刺傷・・・事故か何かですか?
そちらからここまでけっこう遠いですけども
家族の方はこちらでもかまわないのでしょうか?」

一瞬の間があった。

「・・・実は、やくざの抗争事件で刺された患者なんです・・・・」

やくざも人間、病気もすれば怪我もする。
やくざだからといって診療に差を付けることはしない。
しかしそうきれい事ばかりもいっておられない。
態度の悪い輩もいれば
本人は大人しくても取り巻きのチンピラが見栄を張ることもある。
ましてややくざの抗争だと相手方の問題も出てくる。

「・・・やくざ同士の抗争ですか・・・
見舞いの連中と相手方が問題ですね・・・」
「今のところ見舞いは一人しかやってきませんし
他にそのスジの連中は姿を現してもいません。
警察の方にも連絡がいっていまして
トラブルは決して起こらないように手配してくれるそうです 」
「・・・個人的には受けてもかまわないんですが・・・・
もし押し掛けられたりすると
病院全体に問題が降りかかりますから・・・・
私の一存では引き受けられませんので
院長に相談してますから折り返しこちらから連絡します」

案の定、
当初、 事なかれ主義の院長は受け入れに難色を示した。
しかし、最終的には
「センターには恩を売っておいた方が・・・」
という一言が効いたのかいくつかの条件付きで受け入れをOKした。

そして、電話から2時間後、彼の乗った救急車が到着した。


彼には3人の付添がついてきていた。
心配そうに患者を見つめる若い男とその兄貴分風の男。
そして
貧乏くじで転送に付き添わされた研修医。

そして運ばれてきた男は刺されただけでなく
相当に顔面を殴られていたらしく
人相が全く判らないほどにぱんぱんに腫れあがっていた。

私は付き添いの二人に院長からの条件を伝えた。
個室管理になること
付き添いは歩けるようになるまで一人のみ
明らかにそのスジと判る人間の見舞いは禁止
etc・・

付き添ってきた二人はお願いしますとだけ答え
貧乏くじ君は大任を果たしたようなホッとした顔をしていた。


彼はその後3日間ほど眠り続けた。
そして、その間に顔の腫れも引きどうやら人相が判ってきた。


「先生、あのヒト変な人ですね」
「変?何かおかしなことをするの?」
「変、というのはまた違うかもしれないのだけど・・・
何かしらヒトとは違う、ユニークとでも言えばいいのかしら」

彼が入院して7日目くらいだっただろうか
病棟の主任がこういった。
問題がある患者がスタッフ達から
「あのヒト変」と言われることは そう珍しくもないことだったが
このときの彼女の「変」の言い方はまたそれとは違って
どちらかといえば好意的な言い方だった。

「やくざ屋さんで普通の人というのもあまり聞かないけど
彼はどう変なの?」
「・・・例えばあのヒトすごく字が巧いの知ってます?」
「字?」
「あのヒト他の患者さんから頼まれて
時々お見舞いのお礼状なんか書いているんですけど
毛筆で書いているんですよ。
それもすごい達筆で・・・・・」
「・・・字が巧いだけでヘンというのもネ・・・・・・
子供の頃に書道か何かやっていて大人になってグレルこともあるだろうし」
「・・・それにすごく静かなんですよ。
動けるようになってからはあの子分みたいなヒトも帰しちゃって、
昼間ずっとデイルームで静かに本読んでいるんです」

好いにしろ悪いにしろ患者のいろいろな噂や評判は看護婦から伝わってくる。
他の患者さんや病院に迷惑がかかるような評判であれば問題だが
そうしたものでないこの話は単なる世間話でしかなかったが
彼女の面白がって話すその口調が気になった。


「何読んでいるんですか?」
「 あ、先生。お疲れさまです」

そんな会話があった翌日、私はデイルームで本を読んでいた彼に声をかけた。

「・・いや、大した本ではないですよ」
はにかむようにそういって彼が閉じた本は
ハードカバーの司馬遼太郎だった。

「本が好きなんですね」
「いや、こんな時でないとなかなかゆっくり本を読む気にもなれなくて」
「そうですね、こう言ったら病気のヒトに悪いけど
入院して一日中本でも読んでみたいと
たまに思うこともありますよね」
「先生は忙しくていらっしゃるから」
「時間は作ればいくらでもできるんだけどね」

本好きの性か、本の話になると彼は饒舌とは言えないものの
話題が途切れることはなかった。
そのジャンルは驚くほど多岐にわたっており
単なる本好きの枠を越えていた。
そして好きな作品について訥々と語る彼の目は
意外なほど静かでどこか遠くを眺めるようであった。


そんな彼の素性の一端が知れたのはその翌日だった。
午後の手術が終わり医局でくつろいでいると彼がいる病棟から電話があった。

「・・・先生、ご家族の方がいらして
先生にお話を聞きたいと仰っているのですが」
「・・ご家族の方?組でなくて?」
「・・・はい・・・」
「・・すぐに行きます。病棟の方でいいのかな?」
「いえ、先生それが本人には知られずに
先生にお会いしたいとのことなんですけど」
「判りました・・それじゃ形成外科の外来の方に来てもらって下さい」

私が外来に着くとドアの前に一人の上品そうな女性が立っていた。

「わざわざお呼びだてして申し訳ありません。
私、あの子の実の姉に当たるものです。
昨日まで弟が怪我をしたなんて全く知らなかったのですけれども
昨日、弟がお世話になっている組ちょ・・・社長さんから
弟が怪我をしたと電話をいただきまして
今日あわてて田舎から出てきた次第です。
それで弟の怪我の具合はどうなんでしょうか」
「 怪我の方はまあ、順調といって良いと思います。ただ・・・・」
「・・・・ただ?」
「・・・・C型肝炎に罹っているのでかなり肝機能が落ちています。
今すぐ命がどうこうという状態ではないのですが
将来的には肝硬変とか肝ガンとかの可能性が高くなります。
本人にも肝臓の精密検査を勧めたのですが、
自分みたいなものには必要最小限の治療でかまわないからと
断られてしまって・・・・・・」
「・・・・本当にあの子ったら、またそんなことを言って・・・・・・」

彼女は話し始めた。


 

彼の実家はある地方の旧家で
面会に来た実の姉は実家を継ぎ
地元で短期大学の理事長をやっている
そうした家庭だった。

彼は東京の名門と言われる大学を卒業し
一流と呼ばれる会社に就職した。
仕事も順調で特に問題もなかった彼が姿を消したのは
全くの突然のことだったそうだ。

ある日いきなり会社に辞表を送り
それ以後彼の姿はどこにも見あたらなくなった。
誰にも全く理由が判らず
最初は事故や事件の可能性もいわれ
かなりの人手を費やし彼の行方を捜した。
しかし全く手がかりは得られないうえ
明らかに彼自身が書いた辞表もあったこともあり
何かしら姿を消さねばならない理由が
あったのだろうと考える者も徐々に増え
彼のことが話題に上らなくなるまで数年とかからなかった。

そうした彼が再び姿を現したのも全く突然だった。

彼が姿を消して数年後、彼らの父親が亡くなった。
天寿を全うしたといって良いくらいでの死であったが
その死は急なものだった。
そして葬儀の手配に追われていた彼女がふと気づくと
数年ぶりの彼の姿があった。
その姿にはすでに刺青が入っており指の数本もなかった。

こんな自分だから葬式に出る資格はないのは判っている
だからせめて線香の1本でも上げて姿を消すよ、
彼はそういい、父親の遺体に手を合わせると
再び姿を消した。


こうした話を聞いた数日後
彼のことでまた別の訪問を受けることになった。
その訪問者は彼の事件を捜査している刑事達であった。

「先生、あいつの太股の傷は何で出来たものですか?」
彼は単刀直入に、しかし半ばすがるような声で尋ねた。
「・・・私が最初に見た状態はすでに縫われた後だったからね。
これで怪我したとは断言出来ないですよ」
「・・・・せめてガラスで切れたものか
刃物でやられたものか言えませんか?」
「・・・・可能性に関してはコメントできますけど
絶対的なことはね・・・・・。
それに、私に訊かないで本人に訊けば確実じゃないですか」
「・・・本人がいうから困っているんですよ。
自分が酔っぱらって階段から落ちた。
その時階段の下にあったビール瓶に突っ込み怪我をしたって。
あの顔の傷も階段を落ちたせいだと言い張るんですよ」
「・・・ビール瓶と刃物とどちらが可能性が高いかと訊かれれば
刃物の可能性が高いとお答えしますけど
どちらで怪我したかと尋ねられれば
どちらも可能性があるとしか言えないですね」

被害者の彼が何故見え見えのうそをつくのか
不思議に思いながら私は言葉を選び答えた。

「あいつは敵、味方に関係なく人望があるやつでしてね、
今度のことも組に関係した事件じゃないようなんですよ」
それまで黙っていた方の刑事が唐突にいった。
「やった相手も判っているんですけどね。
半分素人みたいなチンピラが
酔った勢いで突っかかっていたみたいですな。
相手がプロならあいつも全く無抵抗というわけじゃなかったでしょうけどね。
イヤ、お忙しいのにお時間取らせまして申し訳ない」
彼はそういうとまだもの言いたげな相棒を促し席を立った。


こんな日々がすぎているうちに年末の休みが目前に迫ってきた。
しかし、彼の傷は肝機能が影響してかまだ完全に閉じきってはいなかった。

「・・・年内の退院は無理のようですね」
「病院で寝ているだけでいいようでしたらうちで大人しくしていますけど」
「この状態だったら少なくと2日に1回はガーゼを取り替えないと」
「でも、明日から病院はお休みでしょう?」
「私は休み中も一日おきに出てきますから大丈夫ですよ」
「・・そんな、私のためにそんな事をしていただいたら申し訳ないです」
「別に**さんのためだけに出てくるわけじゃないですから気にしなくていいですよ。
外にも入院患者さんはいるし
外来で診ている人でも1日おきに処置がいる人もいますから」

よいよ明日から休みという日に
彼は言いにくそうにこう切り出した。
「・・・先生やはり退院というわけにはいかないでしょうか?」
「見て判ると思うけどまだ傷がこんな状態だからね」
彼は処置を受ける自分の傷口を眺めながら何かを考えている様子だった。

「・・・・せめて外泊くらいは出来ないでしょうか?
先生は下らないとお考えになるかも知れませんけども
私たちの世界では元旦に親父のところに新年の挨拶にいくことが習わしになっているんです。
これは少々の用事くらいでは欠かすことができない大事な行事なんです。
それがこの程度の怪我では行かないわけにはいけません。
ですから、31日先生の回診の終わった後から4日まで外泊を。
2日にはガーゼの交換に伺いますし。
むろん無茶は承知していまが、何とか出来ないでしょうか」

私はどうしたものかとしばらく迷ったが
ここで無理に外泊を禁じたところで
多分彼は自分の体を二の次にして外泊するだろう
と考えた私はこういった。
「分かりました。
じゃ、31日は1番で回診しますから
その後から外出ということにしましょう。
2日は外来の患者さん達が9時頃に来ますからその位に来てください。
外泊中はお屠蘇くらいはいいですけどもお酒はだめです」
「ありがとうございます。本当に助かります」
彼はそう言うと深々と頭を下げた。


31日、処置が終わると
「それでは行って参ります」
彼はそう言い残し
入院した日に付き添ってきた若者とともに部屋を出た。

2日、大島紬の着流しで現れた彼は
「やはり外はいいですね。
何をするわけでもありませんけど。
外に1歩足を踏み出し空気の香りをかぐだけで、
それだけのことでいいですね。

4日、病院は通常通りに始まった。
そして彼は戻ってこなかった。


彼から毛筆で書かれた封書が届いたのは2月に入ってのことだった。
世話になったのにそのまま姿を消して申し訳ないと
しつこいくらいにお詫びが記してあった。
そして
最後にこう締めくくってあった。

『 先生の言いつけ通り、その後酒は一滴も口にしておりません。
傷は完全に閉じ、もう心配はないかと思いますが、
先生は多分小生の肝臓のことをも心配されそう仰ったのだと思いますので
これから先も酒から身を遠ざけようと思っております。
とはいえ、人間とは弱いもので
完全に酒への未練を断ち切れたわけではありません。
話す相手がいないとき等、ふとこう思うことがあります。
どこかで先生とお互い見知らぬ客同士として知り合い
酒を酌み交わしながらじっくりと話をすることが出来たら、と』